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ミヤケン創業物語|群馬で塗装実績No.1の株式会社ミヤケン

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ミヤケン創業物語
START!

01親分肌でガキ大将が22歳で塗装店の社長になった

こんにちは、宮嶋です。この度は、数あるホームページの中で、ミヤケンのホームページを見てくださり、本当にありがとうございます。
まずは、少しでもミヤケンという会社のことを知っていただきたく、私宮嶋が自らの歩んできた道を、失敗も恥もすべて正直にお話しいたしますので、少しの間お付き合いください。
この風貌を見てくださればお分かりのように、私は子供のころからガキ大将でした。でも弱い者いじめは絶対にしません。むしろ、困っている子を見たら助けずにはいられません。
当時の写真を見るとちょっと太めであんまりカッコよくないですが(笑)、なかなか人気があって、友達もたくさんいました。

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自分の道は自分で切り拓く。
負けん気の塊だった修行時代。

父が塗り職人で、母が飲食店経営。その影響もあったのか、子どもの頃から独立心が旺盛で、いつか自分で商売がしたい!と思っていました。
そして恥ずかしい話…中学の時の作文に書いたのが、「30歳までに、ベンツに乗ってスーツを着て、オールバックの似合うお金持ちになりたい」(笑)。
ものすごいわかりやすいやつでしょ?(笑)そして高校を卒業して、いざ東京でアパレル関係のお店を出す!と意気込んでいましたが、紆余曲折があり地元でプータロ―…。
そんな時に父が、「暇ならペンキ屋でアルバイトをしろ!」と声をかけてくれ、そこから塗装職人としての修業が始まりました。そして父のもとで3年修行をし、さらに他2つの塗装店で修業を重ねました。

覚悟を決め念願の独立
02苦闘の創業時代

塗装の仕事でやっていく!
覚悟を決め念願の独立。

自分で言うのもなんですが、負けん気がものすごく強かったので、技術を身に付けるのは早かったですね。
そして、よし!この塗装の仕事でやっていく!と覚悟を決め、22歳の時に念願の独立を果たしました。
自宅アパートの片隅を事務所とし、1坪のレンタル倉庫、中古のボロボロの軽トラック1台でのスタート!
夢と希望に満ち溢れていたことを憶えています。
そしてちょうど同じ歳に、結婚・引っ越し、子どもが生まれるという、激動の22歳でした。

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独立はしたものの、得意先を持っているわけではありませんでした。
そこで、タウンページをひろげ、片っ端から電話をかけることにしたんです。
「うちを使ってください!」
「どこでも何時でも行きます!」
「おねがいします!」
職人の世界で育っているため、口下手です。
でも、熱意が伝わったのか、徐々に仕事を頂けるようになりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
ところが、喜んだのもつかの間、新たな壁にぶち当たったのです。
当時私は、大きい仕事がしたいという気持ちでいっぱいでした。
ですから、ビルやマンション、大型店舗や公共の建築物など、とにかく大手の仕事を積極的に請け負おうとしていました。

ところがそのような大きな仕事は、うちのような小さな歴史もない塗装店では直接受注することは出来ません。大手のゼネコンが受注し、次から次へと…私のところに来た時には4次、5次下請けあるいはその下くらいの請負い体制になっていたのです。当然予算も少なくなっており、職人として納得のいく仕事をしようと思えば赤字。けれど手抜き工事はしたくない。
そんなジレンマの中、朝から晩まで昼夜を問わず働いているにも関わらず経営は苦しく、借金の額はふくらんでいくばかり。念願の独立は果たしたものの…精神的にも肉体的にも苦しい時期が続きました…。

03職人として納得のいく仕事をしたい

誰に言われなくても仕事を丁寧に全力でやる。
それが職人のプライド。

その当時、たまらなくなった私は元請会社に「これだけ仕事をしているのだから、それに見合った工事金額をください!」と言ったことがあります。
しかし返ってきた答えは、「こっちはそこまでしろっていってないだろ」という言葉…。
暗に手を抜けと言っているようなその言葉に、非常に悔しく、情けない想いをしました。
俺たちは職人だ!職人としてのプライドがあるんだ!
本来、誰に言われなくても皆いい仕事・納得のいく仕事をしたいと思っているんだ! 
それが出来ないこの業界の仕組みは間違っている。
絶対にこのままでは終わらせないぞ。宮嶋祐介はここで尻尾を巻いて逃げだすようなカッコ悪い男じゃないぞ!
今考えれば、その意地だけが私を支えていたと思います。

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そして偶然。
個人住宅の塗り替えをすることに…

転機は思いがけないところからやってきました。私の会社で使用している某大手メーカーの所長さんが、「宮嶋さん、個人のお家の塗り替えなんだけどやってみない?」と声をかけてくださったのです。
正直に白状しますと、それまで大きい物件志向だった私にとって、住宅の塗り替えはとても小さな仕事に思えました。
それでもせっかく親切に声をかけてくださったのだからと、お受けすることにしました。

そして私は自分の中で大きな間違いに気づいたのです。
「小さい仕事」どころか、それは私にとって、「理想の仕事」だったのです。

お客様から教えられた仕事の喜び。

個人のお客様の塗り替えが、なぜ理想だったのか。その答えは、それがお客様から直接発注された仕事である。ということです。これまでの発注元と私たちの間に入っていた何社もの中間業者は存在しません。訳が分からないうちに予算が削られているということもなく、必要な分だけお客様から頂いて、あとは会社を維持していくための経費が出ればいいのですから単純明快です。しかも、職人たちが丁寧な仕事をすればするほどお客様は喜んでくださいます。長く住まれるお家ですからお客様も真剣です。費用はどれくらいかかるのか、どんな施工をしてくれるのか、どんな職人さんが来るのか、万一の時に保証はあるのかなど、気になることはいくらでもあるでしょう。それらの疑問や不安をひとつひとつ解消し、お客様の信頼を得たときの嬉しさと言ったら!プロとしての誇りをしみじみ感じられる瞬間です。

お客様から教えられた仕事の喜び

やりがいがあって、しかもお客様の喜んでくださる顔が直接見られる。こんないい仕事はないな、よし!これからはこれで行くぞ!そう決心した私は、どうしたらお客様がより喜んでくれるかを、さらに徹底して追求しました。職人たちには、「いいと思ったことはすべてしてあげてくれ!」「現場に入ったらそろばんを弾くな!」と繰り返し繰り返し伝えました。
そしてその甲斐あってかお客様からお客様へと口コミで評判が伝わり、私たちミヤケンは地元でたくさんの仕事を頂ける塗装専門店へと徐々に成長していったのです。

04どんなときも黙って支えてくれた妻
どんなときも黙って支えてくれた妻

照れくさくて言葉にはしませんが、
心の中には妻への感謝の気持ちでいっぱい。

ここで少し家族のことを話させてください。
思い込んだら一直線、退くことを知らない私を陰になり日向になって支えてくれた家族。それが妻であり父です。

妻は経験のなかった経理事務を独学でコツコツと勉強し支えてくれました。苦しかった時代にも泣き言ひとつ洩らさずに、私が必要だと言った費用はすべて捻出してくれました。
後から聞いた話ですが、当時私に内緒で、1万円の食費を実家に借りにいくことも多かったと言います。2人の子供を育てながら働くのは大変なことだったことと思います。
照れくさくて口には出せませんが、私は心の中で妻に手を合わせています。

05父への反発、そして和解

肉親ゆえの激しい葛藤と、思い知った父からの深い愛情。

父とは肉親ゆえの、激しい葛藤がありました。
一流の職人で、粋で、腕っぷしも強い父は、遊び方も半端ではありませんでした。家庭を顧みない父を、思春期になった私はずいぶんと恨んだものです。
やさしさの塊のような母親が子ども心に哀れで、少しは母ちゃんのことも考えろ!可哀想じゃないか!と涙ながらに食ってかかったこともありました。
一旦は父の元へ修行に入ったものの、父への反発からすぐに他へ移ったのも過去もあります。
見てろよ!お前の助けなんかなくても俺は自分の力で立派になってみせる!私もかなり意地っ張りですから、その反発ぶりは相当のものだったと思います。

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そんな折も折、私は交通事故を起こして重傷を負い、3か月間の入院生活を余儀なくされました。
その時です。腹の底から恨んでいた父からの愛情を思い知ったのは…。
既に最愛なる母親は他界しており、結婚もしていなかったので、世話をしてくれる人がいない私の面倒を、父はひとりでみてくれました。
朝は5時半に病院に来て、何やかやと私の世話を焼いてから仕事に出かけます。
そして仕事が終わるとまたやって来て、洗濯物などを持って帰ります。

そんな毎日を黙々と続ける父を見ているうちに、私はこれまで抱いていた恨みつらみがすーっと消えていくのを感じました。
もともと私は男らしく気風がいい父に憧れていたので、その気持ちが素直によみがえってきました。
今では孫の一挙一動に目を細めるやさしいおじいちゃんです。
父と今、こうして仲良くしていられることを、私は目に見えない何者かに向かって感謝したい気持ちでいっぱいです。

06人に出会えるこの仕事が好き

お客様の喜んでくださる顔が直接見られる。
こんないい仕事はない!

私には暇さえあれば通っている恋人(?)がいます。
市内に住んでいる80歳になる老婦人ですが、笑顔がとても素敵な方で、ここでとりとめのないおしゃべりをしながらお茶をよばれている時が、私にとっても心休まる時間なのです。

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友人の友人に聞いたと言っておばあちゃんが連絡をくださったのが、お付き合いの始まり。
その頃はご主人もご健在でした。人を疑うことの一切知らないようなお二人。
飛び込み営業が来て、庭のフェンスを2時間塗っただけで10万円との話を聞き、私の心は怒りでいっぱいになりました。
「もうおばあちゃん、よそには頼まないで!俺になんでも言って!」
思わずそう言ってしまいました。

独り暮らしになられた今、おばあちゃんは困ったことがあればすぐに電話をくださいます。
人には「息子がなんでもしてくれるの」と言っておられるそうです。
いつも手作りのお菓子や煮物を用意して、待ってくださっているおばあちゃん。その存在に救われているのは私の方かもしれないなぁと、ふと思います。

07「社員は家族」ミヤケン大家族主義を目指して

 

私たちはこれからも関わるすべての人たちに感謝し、
地域社会の未来のために歩んでまいります。

「大きい仕事よりも、納得のできる仕事がいい。」私自身がそう思えるようになってから、ミヤケンの職人たちも顔ぶれが変わってきました。
以前は待遇のいいところを求めて渡り歩く人たちも少なくありませんでしたが、いまではじっくりと腰を据えて仕事をしたい人が自然に集まるようになってきました。
何より嬉しいのが、みんなで会社を良くしていこうというエネルギーを感じること。
そしてひとりひとりが成長する中で、あどけない新人だった職人が後輩の面倒をみている姿など。お互いで助け高めあう風土ができ始めています。

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今年で創業19年を迎え、社員数は36名。
お陰さまで、群馬県内の施工実績は4,500棟を超えるまでに成長させていただきました。
高品質の塗装工事にこだわり、自社職人施工にこだわり、塗り替えのプロ集団としてやってきました。
その実績を信頼の証と捉えると共に、これからもしっかりと地域に対し責任を果たしていきます。

次世代の塗り職人を
育成する使命

私たちは日本の未来のために、
次世代の塗り職人を育成し、ひとりでも多くの職人を世に排出することを誓います。
それがわたしたちミヤケンの使命であり、古き良き日本の伝統文化を後世に繋ぐことです。
地域に育てられ、業界に育てられ…
私たちはこれからも関わるすべての人たちに感謝し、地域社会の未来のために歩んでまいります。
どうか皆様、益々のご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます!

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